1. RSYブログ
  2. 子ども・遊び
 

RSYブログ

2023/08/22
ヘビ アオダイショウ  
今日は早朝のオンラインが終わるとすぐに家を出た。(最近常体文多し笑)

7時ちょい過ぎに出発して横浜に向かったのだ。いつもの横浜Luanaのレッスンには1時間半ほど早く家を出た。

なんのためか?

もちろん蛇を探すため。

横浜Luanaスタジオのオーナー姉妹が車を出してくれるというので寺家ふるさと村という田んぼがたくさんある場所に向かったのだった。

Luanaのレッスンが10時過ぎに始まるので、それまでのタイムリミットは1時間15分ほど。そんな短い時間での蛇探しが始まった。

もったいぶらずに結果から言おう。

ヘビは見つからなかった。

それ自体は残念だった。しかしヘビを狙って探すのはなかなか難易度が高い。今年捕まえたジムグリもアオダイショウも他のことをしている時に偶然出会っただけなのだから。

だからヘビが見つからなかったのは残念ではあるが恥ずべきことではない。

しかし、実際はそれ以上に酷い結果に終わっていたのだった。

というのも...

道中色んな生き物にあった。捕まえてちょっと観察しようかなと手を出したり網を振ったりした。

結果、

トンボを狙った網は空を切る音だけが辺りに鳴り響いた。

ニホントカゲの幼体は伸ばした手の隙間を抜けて姿を消した。

子どもでさえ簡単に捕まえられるはずのイナゴも指の間から滑り落ちていった。

かろうじて捕まえたのは、元々片脚を失い跳躍力を失くしていた大きな鈍いショウリョウバッタだけだった。

Luanaオーナー姉妹には笑われたが、言い訳を言わせてもらう。

いつもはこんなに鈍くない。もっと機敏に動けるはずなのだ。

しかしヘビをどうしても見つけたいという邪念が全てを空回りさせてしまった。

まさに蛇念なのだ。

人間、パフォーマンスを発揮するためには落ち着きが必要なのだ。

僕は今までなんのためにヨガを学んできたのだ。

呼吸を使いこの蛇念を鎮めるためではなかったのか?

未熟だったのだ。

何もかも。

ただここで終わるわけではない。

今日のことを教訓に心の落ち着きと冷静な生態分析を持ってして次に挑もうではないか。

次回は9月。

良い報告をこのブログで。

ではまた蛇回!!

2023/08/18
スッポン  
「アナトミック骨盤ヨガは自分の心の弱さと向き合うヨガでもあるのですよ。」

アナ骨のWSでそんなことを偉そうに語ったこともあった。

そんな自分が今では情けなく恥ずかしい。

「心の弱さ」は自分が構えている時にではなく無防備な時に、そして時には唐突に浮き上がってくるものだったのだ。

一番心の弱さに向き合わなければならなかったのは僕自身だったのだ。



今朝、5時半に起きた僕と長男(7歳)は多摩川に釣りに向かった。

気持ちの良い朝陽を浴び、朝露に濡れた道端の野草を見ながら川沿いのサイクリングロードを走っていた。

僕が息子に、

「こんな気持ちの良い陽の光ならヘビが日向ぼっこしてるかもね。」

と言った次の瞬間、4メートル左前方に影が動いた。

小さなヘビだ。

本当にヘビが日向ぼっこをしていて、僕たちの気配に気づき草むらに隠れようとしているところだった。

ヘビの動きは大して速くはなかった。どちらかというと緩慢な動きだった。

自転車の速度で一気に距離は詰められる。つまり射程距離内だった。

自転車から飛び降り、一気に手を伸ばせば草むらに隠れる前に勝負がつく間合いだったのだ。

しかし、僕の心に一瞬の躊躇があった。

朝陽を背に浴びたヘビ。逆光でヘビの模様が見えずに種類を特定できなかったのだ。シルエットしか見えなかった。

瞬間、小さなヘビがマムシやヤマカガシなどの毒蛇であるかもしれない可能性が頭をよぎった。

そしてその迷いが僕の動作を一瞬遅らせたのだ。

その一瞬の遅れが命取りになった。

伸ばした僕の手の少し先でそのヘビは藪に消えた。こうなってしまってはもう見つからない。

僕は震えた。

自分自身に絶望を感じた。

自分の心の弱さをありありと見せつけられたのだ。

普段どんなにイキがっていようとも、唐突な一瞬の場面で心の強さは試される。

準備する間もなかった日常の一瞬でまっさらな心は篩にかけられた。

そして負けた。どうしようもなく弱かった。

毒蛇かもしれないという可能性に一瞬怯んでしまったのだ。

毒があるかどうかなんて本当はどうでもいいことだったのだ。手を伸ばしその体を掴んでから判断すればいいことだった。

毒蛇に噛みつかれた方がマシだった。自分の気持ちの毒に気付かされるよりは。気の毒とはよく言ったもの。

そんな事実と向き合わざるを得なくなった時、じわじわと血清のない毒が僕の心を蝕んでいった。



その1時間後、僕たちは多摩川で釣りをしていた。

魚釣りをしていたはずだったが、思いがけずスッポンの棲家を見つけスッポン釣りを始めていた。

雑魚釣りの道具でのスッポン釣り。難しいところではあった。

しかし息子と力を合わせてスッポンを自分たちのいる岸まで引き寄せることに成功。

あとは引き上げるだけだった。

しかし長男が持っていた網は川用のものではなく、100均で売っていた小さな虫取り用。

体の大きなスッポンを掬い上げることはできそうにない。それでもなんとか引き上げなければならない。

僕は竿を手前に引きながらスッポンが手で届くところまで引いた。

そして右手で竿を持ったまま左手でスッポンの甲羅をしっかり掴んだ。合わせて息子も甲羅へ手を伸ばした。

しかしその刹那、力の強いスッポンは体を揺らせて手足を動かし僕たちの手を跳ね除けてすり抜けると緩んだ釣り針も外して水の中へ消えていった。

一瞬だった。しかし水の中に消えていくスッポンはなぜかスローモーションに見えた。

その時空が歪んだような映像を目に映しながら、僕の心は絶望した。スッポンと共に川底へ沈んでいった。

次の瞬間、心の弱さが水面に反射して僕の心に再び跳ね返ってきた。

どうして両手でスッポンの甲羅を掴まなかったのだ?

自分に問いかける声。答えは明白だった。

加減したのだ。全力でのアナ骨やHIITを語っている自分自身が加減したのだ。

増水した川に前のめりになって落ちるのを躊躇ったのだ。流れのない部分だったのに。競泳経験もあるのに。

ただ川に落ちるのを危ぶんだ。

そんな自分は本当に落ちればよかったのだ。

そうすれば少なくとも心が川底まで落ちることもなかった。

1時間前に教訓を突きつけられようとも、人間の心がそう簡単には変わらないことを知ってしまった。



真夏の晴天の朝。

ヘビとスッポンによって剥き出しにされた心。

普段どんなに武装しようと、ふとした瞬間に曝け出される心の弱さ。

しかし、その心の弱さを知ったからこそできることもある。

自分の弱さを知っているからこそ、他人の弱さを知ることもできる。

だからこそ逆に、

アナ骨を厳しくしよう。

他人に厳しくすることで自分の心も鍛え直そう。

またいつか不意に訪れる一瞬のために。

毒を喰らう覚悟を持とう。

マムシに噛まれよう。沖縄ではハブに噛まれよう。アフリカではブラックマンバに噛まれよう。

血清はいらない。心の毒は今朝の出来事で十分。



よく晴れた日の朝にそんなことを誓ったんだ。

そして気持ちが晴れ渡った。迷い漂っていた雲は消え去った。

「明日のアナ骨はコブラのポーズだけにしよう。」

2023/08/11
決断力  
次男は来年もう小学生になります。なので先日ランドセルを選びにお店に行きました。

今は色々なカラーや模様のランドセルが出ていて昔より選択肢が膨大。選ぶのもなかなか大変です。

しかし次男は兄弟の中で随一の決断力の持ち主なのです。

お店に入って1分。まだほんの少ししかランドセルを見てないのに自分が小学校生活を共にするランドセルを決めてしまいました。黒時に黄金のラインが少し入ったものでした。

さすが…

彼はなんでも即決できます。「遊びにでかけるorでかけない」「ごちそうさまするorしない」「レストランでどのメニューにする?」などなど。

誰に似たんだか。。僕自身はけっこう迷ったりするので羨ましい限りです。

きっと「ありがうと」(一昨日のブログ参照)も迷いなく書いたのだと思います。



さて、今日は迷いなく申し込んだ内田先生のTTに参加します。チェアアナ骨。今朝のオンラインはじゅんこ先生に代行を頼んで今は移動中。

久々の祐天寺。どんな1日になるのか…?レッスンやWSをやるのも好きですが、受講する方も楽しくていいですね。

ということでみなさんも良い1日を。

あ、電車の中で写真何もなかったので全然関係のないものを…

ではまた次回!!

2023/08/10
鏡文字  
夏休み中、次男(年長)に届いた幼稚園の担任の先生からの暑中見舞いのハガキ。

その手紙に対するアンサーとして次男が一生懸命書いた文章。

「〇〇せんせい、ありがうと」

隣り合った文字が鏡文字になると言語成分が変わらないまま順番だけが逆さになるという悲劇と喜劇。

単発の鏡文字だけだったら「逆さになっててかわいいね」だけで済んだのに「と」と「う」という造形の似通った文字が並んでいたばかりに起こった奇跡の物語。

いや、違う。もしかしたら鏡文字だと思っている自分の方が間違っていて、初めから「ありがとう」は「ありがうと」だったのかもしれない。

確かに考えてみれば言語は時代に呼応して生き物のように形を変えていく。

「雰囲気」はもはや「ふんいき」ではなく「ふいんき」として市民権を得ている。

だから同じように「ありがとう」は「ありがうと」として存在を認められていてもおかしくはない。

確かに口に出してみても違和感はない。

ありがうと

いつもくだらないブログを読んでくれてありがうと

眠気でうとうとありがうと

そうか、初めから「ありがとう」ではなかったんだ。「ありがとう」だと思っていたのは夢だったんだ。次男は最初から正しかったんだ。僕が認識していた世界の方が間違っていたんだ。

そんなことに気づかせてくれてありがうと

ポルトガル語で言うとオブリガード。カステイラと一緒だね。


・・・

んなわけあるかっ…!!!

危うく妄想に飲み込まれるところだった!

お付き合いいただきありがうと!

もう治らないね。

ではまた次回!!

2023/08/09
語彙力  
うちにいる3人の子ども達は上から7歳、5歳、3歳。

めちゃくちゃ成長期ですので身長だけでなく言語の言語能力なども日に日に発達していきます。

幼稚園や小学校などで友達が話していることを聞いて新しい言葉を吸収したり。親が教えなくてもどんどん色んなことを覚えていきます。

いつの間にか大人びた単語や表現を使っていたり。若い時の吸収力はすごいものですね。

しかし…

今は夏休み。子ども達はたいてい家にいます。

そして彼らの語彙力は日に日に下がっているのです。

家にいるも兄弟間でしか会話しないものだから使うワード数が極端に少なくなっていくのです。

しかも会話に入ってくるワードと言えば、「う〇ち」「お〇っこ」「〇ん〇ん」「お〇ら」など下品なものばかり。

意味なくそんな言葉達を口から出してはゲラゲラ笑っています。

あまりに語彙力が低下しているので、上記のような言葉を1時間禁止にして会話してみなさい、と言ってみると…

なんと次男は喋ることができなくなって無言になってしまいました。会話ほとんどが禁止用語で構成されていたのですね。

というか喋れなくなるのは重症…

どれだけ上記ワードに頼って会話していたのか…

まだまだ夏休みは続くので子ども達の語彙力低下は続くかもしれません。どげんかせんといかん。。でもどうしたものか…?

みなさんも違う意味で語彙力低下にはお気をつけくださいね。「アレ」とか使いすぎないように笑。

ではまた次回!!

RSY~Rainbow Season Yoga~

お気軽にお問合せください↓

E-Mail:info@rsy-yoga.com

お問い合わせ